インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

修了証書

“インド旅行の参加者を募集するよ、日程は約二週間後の月曜日から金曜日まで”

行きたい、と思ったとして、月から金まで五連休を取れる平日勤めの会社員はどのくらいいるだろう?

意外と多いのかもしれない、環境も考え方も、自分の狭い思考を超えて多様だから。
少なくとも私の世界では、それは「あり得ない」ものだった。

その募集を聞くまで。

聞いた瞬間、閃きの火花が爆ぜた。
「わたしは五連休を取れるかもしれない」という感覚の誕生だ。

制限が一つ、緩まったのだ。

同時に、これが、一つの修了試験であり修了証書だとわかった。小さな絶望の音を聴いてから試行錯誤してきた日々の、はじめの一歩の集大成。

地面が見えない深い谷底を前に、崖から飛び降りろ、というものじゃない。
少し大きめの水たまりを前に、助走路も、反動がつく踏み切り板も、すべてご丁寧に用意されている。

さあ、跳ぶでしょう?

得意気な囁きが聴こえそうなくらい。

突き動かされるように、その日のうちに五連休を取得した。

これは、単なるラッキーではない。
単なる行動力の芽生えでもない。

理由がある。
だから修了証書だとわかった。

試行錯誤を重ねてきた日々が、崖を水たまりにした。あり得ないことをあり得ることに変えた。

旅行くらいで大げさな?
休むくらいで大げさな?

そう、だけど現象の大きさも内容も関係ない。
わたしの感じていること、わたしの感覚、それがすべてだ。

自分自身に言い聞かせるためにも、明言しておく。

現象の大小や内容、その違いは重要じゃない。
注目すべきは感覚だ。

わたしたちは感覚によって世界を捉えている。
感覚が世界を創っている。

不思議なおとぎ話じゃない、事実だ。

視覚も聴覚も持たない虫の世界には、光も音も存在しない。
嗅覚だけが頼りの世界は、わたしたちの捉える世界とはまるで違う。

だけど真実は光も音も存在する。
虫には理解の出来ない現象が襲いかかるかもしれない。
自分には見えない、わからない理由で、血をもらう獲物の動きが変わるのだから。

多くを知り、知識を深め、思考を重ねれば、その謎が解決するのか?
知覚できないまま、制限された範囲の知識と思考で。

感覚だ、感覚を広げることだけが、光を感じさせる。

平日五連休を取得したいと行動したとき。
興奮と、自由と、パワー、誇らしさ、感謝が湧き出て、身体中に渦巻いた。

その感覚は、月収以上する絵画をはじめて購入した人の興奮と同じだ。
または、髪をピンク色にすること、一人でラーメン屋に入ること、詩を書いていると人に打ち明けること、会社を立ち上げること、数日で一千万稼ぐこと。

現象は違っても、自分には出来ない、と思っていたことを成し得た人の、自由とパワーの感覚、興奮は同じだ。

現象は違っても、わたしたちは同じ感覚を持ち、共鳴している。
同じ現象を求める必要はない、求めているのは感覚だ。
感覚のない現象を求めて何になるだろう。

そして人生の大きな秘密。
感覚は自分で選べる。
共鳴したい感覚を選んで共鳴しよう。

そして望んだ通りに差し出されたなら、思い切り受け取ろう。

この共鳴のメカニズムを使って、わたしはこのインド旅行へ行く現象を“生み出した”。
それがわたしの、始まりの一歩が終わる修了証書だった。