インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

安全領域

プネー空港でフライトを待つあいだ、主催者の女性とその旦那さまと、SNSのライブ配信で話す機会があった。

先ほどわたしに起こった気づきについて、話を振ってもらって、画面越しに視聴者にシェアした。
これもわたし史上、画期的な出来事だった。

インフルエンサーでもあるその女性のアカウントは、つまり不特定多数に開かれた公の場所だ。
誰が見ているかわからないのだ。

わたしたちが取り組んでいるような、意識のこと、内観をしていくことに興味がある人が見ているのだから、ほぼ仲間うちと言える。
だけど、もし家族や趣味の友だちや職場の人たちの目に触れたら?
少し一般的とは言い難い考えで行動している自分のことを説明しづらい。
特に仕事のことで悩んでいるだなんて、どこで迷惑かけるかわからないのだから、オープンなインターネットで公言するなんてあり得ない。

不特定多数の人の目に触れる場所で情報開示するということに、わたしは非常に慎重だった。

そのはずが、あまりに衝撃的な気づきでぼーっとして、聞かれるまま、ほぼこのインド旅行記に書いたようなことを、自分からベラベラと喋っていた。

会社員を辞めて自分で稼いで行きたいだとか、文章を書いていきたいだとか、自分の中で認めることすら怖かったことまで!
公の場所でベラベラと。

実は先に書いてしまうと、さらに後日談があり、インドから帰国した数日後、あらためて主催者の女性に誘ってもらって、再びSNSのライブ配信でインド瞑想ツアーについて話した。

帰国後数日で変化した感覚のことから、話す予定もなかったような作家宣言まで、様々なことをまたもやベラベラと話した。

実際のところ、何も問題ないのだ。
わたしはわたしの誠実な真実を話しており、おかしなことは何も話していない。
取り繕う必要があることなど、何もなかった。

話すというのは、大事なことだ。
最初の具現化のひとつだ。
そして、どんなリアクションが来ようと、恥をかこうと、宣言したのに実行出来なかろうと、実際のところ、すべてどうでも良いのだ。
どんな自分だろうと自分の存在に傷はつかない、自分で自分を傷つけない限り。

自分の表現を、存在を、表に出していきたいと望んでいるのだから、これもまた大きなチャンスであり、得難い体験をさせてもらった。
世界に向かって、本心を、願望を、姿を、露わにしても何も変わらなかった。
むしろ見ていた人たちから応援してもらえて、素晴らしい体験だった。

大きく感覚が変わる体験だった。

プネー空港と帰国後のライブ配信、両方で共通したテーマのうちの一つが、安全領域<コンフォートゾーン>から出る、ということだ。
これはものすごく大切なことで、プネー空港や帰国直後の時より、日に日に理解が深まり、納得が増している。

結局、わたしが、自分の欲望を認めていこう、とハッキリ望みながらも、さらに休みを取ってパーティに参加するということを検討すらしなかったのは、自分の安全領域から出る気がなかったからだ。

もちろん無意識に遮断していたから検討すらしなかったのだけど、そもそも制限というのは無意識なものなのだ。
ハタから眺めているだけでは、それを欲しているのか、本当に要らないのか、判断がつかない。
体験してみて、初めてわかる。
だって、未知のことなんだから。

未知のことだから、大抵怖いか、めんどくさいか、先ほど言ったように欲しいと思えない。
だから、惹かれないとか、やりたくないとか、必要ないとか、ネガティブな印象になる。
よほど意識していないと、選ばない。

既知のコンフォートゾーンから出る!

その強い意図がないと、なかなか出られない。

過去のパターンを抜ける、制限を手放すというのは、そういうことだ。
私のように、自分ではなかなか無意識の制限に気づくことが出来なかったりもする。
その場合は人のお勧めに乗ってみること、予定調和から外れてみること、特に反発が出るような嫌なことを敢えてやってみること。馬鹿げていると思っても!
好奇心は強い味方だ。

わたしは、繰り返し書いてきたように、感覚が世界をつくるというメカニズムにのっとり、自分の感覚を何よりも指針にしようと努めてきた。
怖い・無理・嫌だ、そういう強いネガティブな反応が出ない範囲、自分に無理させない範囲で挑戦してきた。
それが、自分に寄り添うことだと思ってきたからだ。

それは違ったのだ。
コンフォートゾーンのなかで、ちょっとずつ出来ることを増やしていくこと、それも少しずつ枠を押し広げるかもしれない。
だけどきっと枠を出ることはない、本当に乗り越える時には、恐怖が出る。
恐怖を乗り超える覚悟とパワーが必要になる。

コンフォートゾーンのなかで、“出来そう”と思えることをやるのが、自分に寄り添うことじゃなかったのだ。
“とても出来ない!”と感じるようなコンフォートゾーンの外のことを、恐怖や不快の感覚を認めながら、少しずつ無理なく"出来るかも……?”と感じられるところまで、丁寧に感覚を運んでいくこと。
そのうえで挑戦させてあげること。
それが自分に寄り添うことだったのだ。

だから、過去のパターンを超えてくというのは、タフな生き方だ。
とても出来ないと感じるようなことと向かい合っていくのだから。

だからこそ、制限が外れる、自由になれる。

もちろんこれは感覚の話だ。
大きな現象、突飛で奇抜な現象、それをするのが制限を外すことじゃない。
現実世界で生きていれば、行動は必要になる。
だけど、いつでも基準は感覚だ。現象じゃない。

現象は小さく見えても、感覚が安全領域の外なら、それは制限を超える挑戦だ。

わたしは、“出来る範囲”でだけ挑戦してきた、と言ったけど、それでも時々、勢いに乗って安全領域を飛び超えたと思われることはあった。

私の本当に一番最初のチャレンジ、レストランで何度も迷って、二度目の来店でやっと心臓をバクバクさせながら塩が欲しいとお願いしたことを、よく覚えている(ジェノベーゼがいつも味が薄かったのだ!でも料理に文句をつけるようで、塩くださいがどうしても言えなかったのだ)。

このインド旅行も、強い衝動と勢いで乗り超えたけれど、まったく安全領域の外だ。
インドという海外へ行くことも、平日五連休を取るということも。

そして公のSNS配信で自分のことを話すことも、安全領域の外だ。

現象は異なるけれど、どれも安全領域の制限を飛び出すチャレンジだった。

恐怖に呑み込まれたまま、無理矢理突撃することはない。
感覚は少しずつ、変えていける。
深呼吸して、本当の望みと恐怖を素直に感じて寄り添いながら、どう感覚を運んでいくか。
そこが腕の見せどころだ。

それをぜひ愉しんで、そして行けると思ったら、ハラに力を入れて、飛び超えること!