インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

おわりではじまり

この旅行記を書き始めてから約二ヶ月が経っている。

旅行記と題してはいるが、インドのことはほとんど書いていない。
これはわたしの内側の変容、そのはじまりの物語だ。

無意識に遮断していた感覚が、開いたのだから、変わらざるを得ない。

気づきを分かち合う手段として、表現の楽しみとして、自分への決意表明として、この物語を記した。
同時に、変わっていくわたしを見て不安を感じる人、新しく出会う人に向けて、自分がどういう考えで動いているのか、自己開示と自己紹介のつもりでも書いた。

だから仲間内だけで通じる言葉ではなく、誰にでも通じやすい言葉で、曖昧な表現ではなく具体的に表したつもりだ。

広く様々な人に読んでもらえたら嬉しい。

わたしはこの物語に、はじまりの音が宿るよう意図した。
これが誰かの、何かの、はじまりに触れ、そっと後押し出来たら、なお嬉しい。

世界は動いている、変化しつづけている。
止まっていることなどできない。
だから、はじめよう。
動き、変化することが自然で、止まりつづけることは苦しいのだ。
誰でも、どんなものでも。

存在以外は。


ここまでの本編で、いまわたしが大切にしているエッセンスをほとんど書き表せたつもりだ。

ただ、書ききれなかったことが二つある。
最後にそれを書いておきたい。


まず一つ目。
不動の存在にくつろぐこと。

実のところ、目に見えている物理的な現象世界とそこで生きる自我を持つ“私”と、その奥または超えた先に、アイデンティティも過去も未来もあらゆることを落っことした、裸の“存在”としての大きな“わたし”が存在しているのだ。

存在としての大きな“わたし”は、いつでも今この瞬間、この場所に不動でいる。

常に変化する現象世界で生き生きと動きながら、不動の存在にくつろぐこと。
その両方のバランスをとること。

突然、少し不思議な言い回しになってしまったけど、要は動と静のバランスだ。

この旅行記は、はじまりの動のエネルギー、情熱、行動のエネルギーに比重を置いているので、ほっとリラックスする静のエネルギーが土台にあるからこそ大きく動けるということを、強調しておきたい。

外側の条件、肩書や能力や容姿や性格、アイデンティティのすべて、過去も未来も、すべてのものを持たない、何もない自分。
生まれる前よりもっと前に戻った、何もない裸の自分。
その感覚にくつろいで、いつでもその場所をホームポジションとして忘れずに戻ること。

外側の条件が自分自身の価値だと誤認すると、移ろいやすいそれらが崩れるたびに傷つき、そうならないよう守るために必死に執着することになる。
いつでも、何もない裸の存在が本当の自分で、そこにくつろぐ感覚を思い出そう。

ホームの感覚があってこそ、思い切り行動できる。


それから、二つ目。
身体を愛でること。

ここでは、栄養に優れた食べ物を摂る、ジャンクフードを食べない、筋トレとストレッチを欠かさない、などとは少し違うことを意味している。

「感覚」は五感で出来ているので、五感を大切に味わうこと。注意を払うこと。
肉体が感覚の受信機であり発信機であるから、大切に撫でて、文字通り愛でること。

身体を撫でる行為は、ものすごく効果的だ。
感覚が変わる。開く。
自然と感じること、浮かぶ考え、出来事も変わってくる。

受信機かつ発信機である身体に溜まっていた感覚が浮き上がってくることもある。
それは残ったままより、表に出て解放されていくほうがよいので、そのまま流そう。

自分の手のひらで、ゆっくり、頭、腕、胸、腹、足、足の裏など、隈なく優しく撫でる。
じっくり手当てするのも良い。

毎日お風呂や寝る前の習慣にして、それどころか暇さえあれば撫でる。

ゼロ円で簡単に出来る、最高最強のおすすめツールだ。


これで本当に、いまわたしが言えるすべてを込められたと思う。

これは、はじまりだ。
この先またどんな物語が展開するのか、いつか続きを書けたら嬉しい。

誰よりもわたしが楽しみにしている。

 

<完>

 

わたしの欲は世界の欲

それから感覚の変化について。

自分の安全領域の外のものは、落胆を感じないよう、無意識に欲しいとも感じないよう遮断していた。そのことに、このインドツアーで気づいてしまった。
それはつまり、今まで遮断していた、欲しいという感覚、それに伴う、落胆や悔しさを感じられるようになったということだ。

まず帰りの飛行機ではっきり気づいた。

帰りはツアー参加者のうち過半数が、ビジネスクラスに乗っていた。
機内の座席だけではなく、空港でのラウンジ利用も、搭乗案内も差がある。
行きにはふんわり、ビジネスクラスって快適なのかなあ、いいなあ、そう思っただけだった。
だけど帰りは違っていた。

すごく悔しい。

別にエコノミーでも充分なのだ、わたしはどこでも寝られるし、行きも快適だったのだから。

だけど、そういう話じゃない。

メカニズム上は感覚に制限はないし、すべて選ぶことが出来る、望むことが出来る。
そのはずなのに、私はビジネスクラスを「選ぶことが出来ない」と思っている、今は。
自分には手に入らないもの、として、そこにある。

それが悔しい。
いいなあ、なんて可愛い気持ちじゃない。
もはや真顔で、ビジネスクラスに乗っている人が現実に存在しているのに、なんで私は違うの?なんで選べないの?
そう怒りに近い感覚があるくらい、悔しい。

今の私がビジネスクラスを選ぶのはバンジーだ。無理して何十万出して乗っても、おそらくガチガチに恐怖と心配が先立って、楽しんで味わうことなど出来ない。それは意味がない。
実際、ツアー申し込みの時には選択肢にも、望みとしてすら感じなかった、安全領域外だったからだ。

今まで抑圧していたせいか、欲が暴れる。

この、自分の安全領域外を望むこととセットの、落胆や悔しさに気づく範囲は、日に日に広がった。

素敵な家具や食器、これまでは「わあ素敵ですね!」と思い口にしたとしても、結局は「自分とは関係ない」という態度だった。だから何も思わなかった。
今は、え?なんで私は選べないの?どうして?と内側から強い問いかけが湧いてくる。
つまり、そこが、私が満たしておらず、制限しているところなのだ。

もはや、ほとんどすべてのことに、制限と抑圧を持っている。
衣食住環境、人間関係、時間、仕事、可愛いペット、日常のすべて。
全部好きに選びたい、しかし、それをこれまでわたしはまったくやってこなかった。
人目やお金や何かの条件で、制限して、自分も騙してきた。

自分の好き、自分の望み、自分の選択に向かって進むということを完全に怠っていた。
目を逸らして封印して、好きじゃないもの、心身に合わないものを纏っていたのだ。
何かしらの、"安全"と思われる条件、自分以外の基準で選んで。

だから今、ついに認めた欲望が暴れる。

ゾルバ・ザ・ブッダ。
ゾルバの強欲を認めざるを得ない。
欲しくないです、そんな顔して遮断していただけで、わたしはものすごく強欲だ。

今すぐの物理現象には制限があるから、どうしても悔しい思いをすることが多い。

ありがたいことに、今のわたしは意識のこと、感覚の取り扱いを少しはわかっている。
落胆や悔しさが湧いてきても、面白がることが出来る。
自分の望みを知る手掛かりであり、大きなパワーとして利用することが出来る。

もし、一年半前、意識の取り扱い方やメカニズムを知らずに、この地獄の蓋を開けてしまったら。

それはとても危険だった!

悔しくて、妬ましくて、怒りに塗れて、潰れてしまったかもしれない。
または、早々にまた蓋を閉じて、感じないよう封印したかもしれない。実際そうだったのだから。

だから、このタイミングで良かったのだ。

落胆や悔しさや怒りに、あまりに長時間浸り切る必要はないけど、これらもエネルギーでありパワーである。
落胆の裏には、本当はどうが良かったのか?それが確実にある。落胆や悔しさに一時寄り添ったら、裏にある望みを感じること。
何が嫌なのか、何に惹かれるのか、何を感じたあのか。
どこに自分が反応しているのか、細かく感じる。
望む感覚にフォーカスすることになり、落胆や悔しさの強いエネルギーはそのまま、望みに向かう強い推進力、パワーに転換される。

欲はパワーなのだ。
そして。

「わたしの欲は世界の欲」


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プネー空港のお土産屋さんで買った、ミラーワークのキラキラしたゴールドノートに書いた言葉。

わたしたちは全体性のなかで生きている。

わたしの欲はわたしだけのものではないのだ。
パズルの凹凸のように、大きな流れの中で引き合っている。
わたしに買われる必要があるもの、次の展開のために必要なもの、わたしから生み出されるものを必要としている人、わたしが運ぶべきもの。

何かのために何かをするわけじゃない、一瞬一瞬それ自体を感じるためだけに存在している。
だけど、その一瞬に味わった感覚、その発したエネルギーが、私の身体を次の瞬間へ運んでいく。
どんな瞬間にリープするのか、それはわたしの感覚がつくる。

大きな大きな、わたしの世界という大きなわたし自身のからだ、全体性のなかで、小さな人間の私もひとつのピースにすぎない。

個として、私が私の音を響かせる、私を全うする、それ以上のことがあるだろうか?
白は白、黒は黒であるから、絵が完成する。黒い点が良い悪いもない、その場所でその色を発揮するのだ。
パズルのピースは、その形が必要なのだ。

絵もパズルも、完成させるのが王道の楽しみ方だ。
もちろん外れるのも良い、すべて自由だ。
だけど、わたしは最大限、クリアに、強く、響かせてみたい。
そしてわたしの世界で、響き合わせてみたい。
そのとき何が起こるのか、見てみたい。

だから、自分から湧き上がるものを止めない。
欲はパワーだ、パワーを溜め込んで腐らせることはしない。宝を溜め込んで腐らせたケチババアのように。
腐ったパワーは私を蝕み、わたしの世界を蝕むが、表に出せば、その宝は陽の光を浴びて輝き、世界を照らす。

 

 

ラグジュアリーホテル

あと少し、パーティ参加にまつわる顛末と、感覚の変化について話して、この旅行記を終えたいと思う。

まずパーティについて。

プネー空港で、すっかりパーティに行く気になっているにも関わらず、“気”だけで、私はまだ決断していなかった。

帰国したら週末だ、まず月曜に出勤して、仕事の状況と予定を確認して、メンバーに追加でまた一日休みが欲しいとお願いしよう。
それは決めていた。

無事休みが取れたら、パーティ参加を申し込もう。
そう思っていた。

プネー発の国内線に乗り込み、離陸を待つ間、パーティに参加することを既に決めている仲間の席が近かった。
彼女は鳥取在住だ。ふと、鳥取から東京のイベントに来る方が、仕事の休み云々があろうと、都内で電車一本で行けるわたしより、どう考えてもハードルが高くないだろうか?
そう気づいた。
そのことを彼女に伝えたら、もうパーティの出席は申し込んだ?そう聞かれた。
まだだよ、と回答しながら、ヒヤッと冷たい感覚が身体に走った。

何かとても大事なことを見過ごしているような、失いそうになっているような焦り。
突然、気づいた。
既にすっかり行く気になっているのに、まだ申し込んでいないなんて、おかしいんじゃないか?

パーティは当然、参加人数の枠もあるし、申し込み締切がある。会場のキャパが決まっているのだし、手配もあるのだから。
人気企画は定員に達した時点で締切となるのが常だ。

その時の私は完全に、人数枠だとか締切だとかいう概念を忘れ去っていた。
既にすっかり参加する気になっているのに、こうしている間に定員に達して、参加できなくなってしまったら、すごく悔しい。絶対後悔する。
それなのに何故、仕事を調整すると決断して、参加にコミットして申し込まないのか?

インドツアーの時はそうした。結果がどうだろうと即休みを取る動きをしたし、即申し込んだ。絶対に逃したくなかったから。
とりあえずどうなるかわからないけど申し込んでおこう、ダメだったらキャンセルしよう、そんな迷惑な話じゃない。
絶対行く、そうコミットして申し込むのだ。
だってもう絶対に行きたいと思っているのだから。

休みが取れたら、申し込もう?
もう確実に休めると確信している癖に?
まだ決断を誰かに、何かに委ねようとしてるの?
休みが取れたら行く、取れなかったら行かない、そんな話じゃない。
行くと決めるんだよ、わたしが。
わたしの感覚が世界をつくってるんだから。

それなのに、のんびりしていたのは、完全にあぐらをかいていたからだ。
つまり、直接声をかけてもらって、濃密に参加について相談に乗ってもらったのだから、自分が、無事休みが取れたので行きます!と言えば、必ず行けるような気になってしまっていたのだ。
図々しくも!
チャンスは平等だ、掴めるときに掴まなければならない。

慌てて申し込もうとしたものの、今はもう飛行機に乗り込み、離陸を待っている最中。
いつ動き出すかわからない。

デリーの空港に着いたら即申し込もう、そう思ったところで、また落ち着かなくなった。
デリーじゃ遅い!という感覚があった。
後悔したくないんでしょ?既に絶対行きたいと思ってしまっているでしょ?
だったらあと数分でも時間があるなら、今すぐなりふり構わず申し込まなきゃ!

強い感覚に従って、急いで申し込みフォームに入力した。まだ人数枠は埋まっておらず、間に合った。
ちなみに申し込み締切は週末のうちで、わたしが月曜日に出社してのんびり予定を確認していたら、そのときにはもう募集は終わっていたことになる。

更に言ってしまうと、これほど仕事を休む休まないと大騒ぎした、ピンクパーティ。
なんと平日火曜といっても夜からのスタートで、都内で働く私は仕事を定時にあがってからでも間に合う時間だったのだ!
反発と抵抗が強すぎた私は、ろくに参加募集の詳細も見ていなかったので、平日=どうせまた休まないと参加できない時間でしょ?と思い込み、大騒ぎしていたのだ。

恥ずかしいし、恐ろしい。

結局、ヘアメイクをサロンに頼むため、午後半休をもらってパーティに参加した。
パーティはもちろん、最高に楽しかった。

身支度から楽しかった。
ピンクのワンピースに合わせるインナーは、これまで選んだことがないヒラヒラ大きなフリルの優雅なブラウス。
足元は買った後一度も履かずに眠らせていたショッキングピンクのニーハイソックスに、ヒールはマットなシルバー。
黒の細い紐状ベルトに、好きな自作アクセサリを遊びでつける。胸元にも。
自分の編み物作品のうち、フリンジが効いたベージュとカーキのツートーンのパーティバッグを持つ。
髪の毛はコンパクトにアップしてもらって、メイクも自分ではなくサロンでお願いした。

もちろんホテルの部屋も予約した。

だから15時にチェックインして、一息ついてから、着替えて近くのヘアメイクサロンへ行って、また部屋で落ち着いてから、パーティ会場へ向かうという、優雅な過ごし方だった。
ドキドキしながらも、ここに泊まるのがいつものこと、そんな顔で満喫した。

実際のところ、よく考えなくても家賃より高い一泊なのだけど、あまり気にならなかった。
存分に楽しんだ。

パーティではインドツアーに一緒に参加した友だちはもちろん、思いがけず遠方の友だちと再会出来たし、新しい友だちも出来た。
女性たちの歓ぶ声。食事、お酒、歌、なによりおしゃべりが止まらない。

パーティ後、友だち三人といっしょに部屋でさらにおしゃべりした。
イベント後に余韻を味わうというのは、欠かせない。

ベットの広さはそこまで要らないし、気分により誰かに泊まってもらう可能性を感じたから、ツインを予約していた。
一人でも二人でも部屋代は変わらないんだから、せっかくならもう一人気軽に泊まってもらうのはアリだ。
もちろん部屋代の折半はしない、自分にはこの場所に泊まれる力がある、と感じるのがわたしの歓びなんだから。
ただ当日一人で過ごしたい気分の可能性があるので、事前に誰かを誘うことはしなかった。

予感通り、インドツアーに一緒に行った友だちもこの部屋に泊まってもらうことにした。
そしてその友だちが予約していた他のホテルの部屋を、別の友だちに使ってもらうことにした。
これは奇跡的なリレーだった。
全員が自分の感覚に従って動いた結果、必要な人に必要なものが提供されるという、素晴らしい循環を見た。
その夜、誰か一人でも細かな感覚に従わず違う選択をしていたら、その循環はなかった。

感覚に従うと、スムーズにコトが進む。ときには奇跡的な調子で。

翌朝の朝食も最高で、心ゆくまでラグジュアリーな気分に浸った。
昼にチェックアウトするまで、わたしはそのままホテルでリモートワークをしていた。
同僚との通話で、今実はホテルに泊まりに来ていて、昼に自宅に移動するよ、そんな雑談をしながらも、まさかこれほどラグジュアリーな場所だとは誰も思うまい。
しかし、それでもこんな個人的な、しかも少し変わった状況をサラリと話せるなんて、本当に人との付き合い方が変わった。

友だちが撮影してくれた仕事風景は、一見ラグジュアリーホテルを定宿にする有名作家だ。
作家はホテルにこもって執筆するものでしょ?
勝手な妄想の作家像だけど、とても気分があがる。

コンフォートゾーンを超えた記念のチャレンジは、とても貴重で最高の体験が出来た。
あらためてここに書いておかなければならない。
すべてのものはお値段以上だ。断言する。

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安全領域

プネー空港でフライトを待つあいだ、主催者の女性とその旦那さまと、SNSのライブ配信で話す機会があった。

先ほどわたしに起こった気づきについて、話を振ってもらって、画面越しに視聴者にシェアした。
これもわたし史上、画期的な出来事だった。

インフルエンサーでもあるその女性のアカウントは、つまり不特定多数に開かれた公の場所だ。
誰が見ているかわからないのだ。

わたしたちが取り組んでいるような、意識のこと、内観をしていくことに興味がある人が見ているのだから、ほぼ仲間うちと言える。
だけど、もし家族や趣味の友だちや職場の人たちの目に触れたら?
少し一般的とは言い難い考えで行動している自分のことを説明しづらい。
特に仕事のことで悩んでいるだなんて、どこで迷惑かけるかわからないのだから、オープンなインターネットで公言するなんてあり得ない。

不特定多数の人の目に触れる場所で情報開示するということに、わたしは非常に慎重だった。

そのはずが、あまりに衝撃的な気づきでぼーっとして、聞かれるまま、ほぼこのインド旅行記に書いたようなことを、自分からベラベラと喋っていた。

会社員を辞めて自分で稼いで行きたいだとか、文章を書いていきたいだとか、自分の中で認めることすら怖かったことまで!
公の場所でベラベラと。

実は先に書いてしまうと、さらに後日談があり、インドから帰国した数日後、あらためて主催者の女性に誘ってもらって、再びSNSのライブ配信でインド瞑想ツアーについて話した。

帰国後数日で変化した感覚のことから、話す予定もなかったような作家宣言まで、様々なことをまたもやベラベラと話した。

実際のところ、何も問題ないのだ。
わたしはわたしの誠実な真実を話しており、おかしなことは何も話していない。
取り繕う必要があることなど、何もなかった。

話すというのは、大事なことだ。
最初の具現化のひとつだ。
そして、どんなリアクションが来ようと、恥をかこうと、宣言したのに実行出来なかろうと、実際のところ、すべてどうでも良いのだ。
どんな自分だろうと自分の存在に傷はつかない、自分で自分を傷つけない限り。

自分の表現を、存在を、表に出していきたいと望んでいるのだから、これもまた大きなチャンスであり、得難い体験をさせてもらった。
世界に向かって、本心を、願望を、姿を、露わにしても何も変わらなかった。
むしろ見ていた人たちから応援してもらえて、素晴らしい体験だった。

大きく感覚が変わる体験だった。

プネー空港と帰国後のライブ配信、両方で共通したテーマのうちの一つが、安全領域<コンフォートゾーン>から出る、ということだ。
これはものすごく大切なことで、プネー空港や帰国直後の時より、日に日に理解が深まり、納得が増している。

結局、わたしが、自分の欲望を認めていこう、とハッキリ望みながらも、さらに休みを取ってパーティに参加するということを検討すらしなかったのは、自分の安全領域から出る気がなかったからだ。

もちろん無意識に遮断していたから検討すらしなかったのだけど、そもそも制限というのは無意識なものなのだ。
ハタから眺めているだけでは、それを欲しているのか、本当に要らないのか、判断がつかない。
体験してみて、初めてわかる。
だって、未知のことなんだから。

未知のことだから、大抵怖いか、めんどくさいか、先ほど言ったように欲しいと思えない。
だから、惹かれないとか、やりたくないとか、必要ないとか、ネガティブな印象になる。
よほど意識していないと、選ばない。

既知のコンフォートゾーンから出る!

その強い意図がないと、なかなか出られない。

過去のパターンを抜ける、制限を手放すというのは、そういうことだ。
私のように、自分ではなかなか無意識の制限に気づくことが出来なかったりもする。
その場合は人のお勧めに乗ってみること、予定調和から外れてみること、特に反発が出るような嫌なことを敢えてやってみること。馬鹿げていると思っても!
好奇心は強い味方だ。

わたしは、繰り返し書いてきたように、感覚が世界をつくるというメカニズムにのっとり、自分の感覚を何よりも指針にしようと努めてきた。
怖い・無理・嫌だ、そういう強いネガティブな反応が出ない範囲、自分に無理させない範囲で挑戦してきた。
それが、自分に寄り添うことだと思ってきたからだ。

それは違ったのだ。
コンフォートゾーンのなかで、ちょっとずつ出来ることを増やしていくこと、それも少しずつ枠を押し広げるかもしれない。
だけどきっと枠を出ることはない、本当に乗り越える時には、恐怖が出る。
恐怖を乗り超える覚悟とパワーが必要になる。

コンフォートゾーンのなかで、“出来そう”と思えることをやるのが、自分に寄り添うことじゃなかったのだ。
“とても出来ない!”と感じるようなコンフォートゾーンの外のことを、恐怖や不快の感覚を認めながら、少しずつ無理なく"出来るかも……?”と感じられるところまで、丁寧に感覚を運んでいくこと。
そのうえで挑戦させてあげること。
それが自分に寄り添うことだったのだ。

だから、過去のパターンを超えてくというのは、タフな生き方だ。
とても出来ないと感じるようなことと向かい合っていくのだから。

だからこそ、制限が外れる、自由になれる。

もちろんこれは感覚の話だ。
大きな現象、突飛で奇抜な現象、それをするのが制限を外すことじゃない。
現実世界で生きていれば、行動は必要になる。
だけど、いつでも基準は感覚だ。現象じゃない。

現象は小さく見えても、感覚が安全領域の外なら、それは制限を超える挑戦だ。

わたしは、“出来る範囲”でだけ挑戦してきた、と言ったけど、それでも時々、勢いに乗って安全領域を飛び超えたと思われることはあった。

私の本当に一番最初のチャレンジ、レストランで何度も迷って、二度目の来店でやっと心臓をバクバクさせながら塩が欲しいとお願いしたことを、よく覚えている(ジェノベーゼがいつも味が薄かったのだ!でも料理に文句をつけるようで、塩くださいがどうしても言えなかったのだ)。

このインド旅行も、強い衝動と勢いで乗り超えたけれど、まったく安全領域の外だ。
インドという海外へ行くことも、平日五連休を取るということも。

そして公のSNS配信で自分のことを話すことも、安全領域の外だ。

現象は異なるけれど、どれも安全領域の制限を飛び出すチャレンジだった。

恐怖に呑み込まれたまま、無理矢理突撃することはない。
感覚は少しずつ、変えていける。
深呼吸して、本当の望みと恐怖を素直に感じて寄り添いながら、どう感覚を運んでいくか。
そこが腕の見せどころだ。

それをぜひ愉しんで、そして行けると思ったら、ハラに力を入れて、飛び超えること!

 

 

バンジー

緊張感と恐れに包まれながら、呼吸してただ自分の感覚と、目の前の会話に集中する。

「出来ない、恐いと感じてガチガチになったまま、無理矢理やらなきゃいけないっていうことじゃないよ。むしろその感覚が伝わってしまうから、無理!って思ったままやるのは違う。
でも本当に調整出来ないのか、感じてみて。
もし病気で高熱が出たら休むでしょ?だから休めないということは本当はないんだよ。
例えば、本当に本当にごめん!もう一日だけ休みたい!って頭下げてお願いしたら、休めたりしない?」

恐怖に呑み込まれたまま、無理矢理行動すること。
それをわたしたちの仲間うちでは「バンジー」と呼ぶ。正確には紐なしバンジーだろう。
感覚が世界を創るというメカニズムにおいて、絶対無理、と思いながらチャレンジするのは事故しか生まない。

インド旅行に出立する前のわたし自身もそのことはわかっていて、この旅行記にも書いている。

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もし怖すぎて動けないのなら、重すぎて動けないのなら、その感覚を無視して無理矢理行動はしなくていい、してはいけない。
その現在の感覚、感覚の現在地を感じないで、遠すぎるものを無理矢理実行しても、感覚が動かないなら意味が無くなってしまう。

いつでも感覚の現在地から始まる。
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無謀な行動か、それとも自分の制限を乗り越える勇気ある一歩か、その違いは感覚だ。
行動すること自体がバンジーじゃない、どういう感覚で行動するか、それが重要だ。

休みを取るというだけのことだが、この時点の私にとって、それは紐なしバンジーだった。
恐怖に包まれた無謀な行為で、とても崖から飛び降りるなんて出来ない。

だけど、恐怖を感じながらも、深呼吸して、言われた通り、想像してみる。
これまで怖くて想像すらしなかったことを。
ごめん!もう一日だけ休ませてください!そう実際に職場でお願いする場面を。
具体的に。

まず、体調不良などと言って当日ブッチ切るのは無理だ、最悪の気分にしかならないだろうから。
行くなら真正面からお願いするしかない。

お願いするなら、こちらもハラを決めていないとならない。
おずおず、もし出来るなら追加で一日休みたくて……なんて曖昧なのは、余計に状況を悪くする。
何か担当の案件があるかもしれない、会議が入ってるかもしれない、迷惑をかけるのは仕方ない。
理由も詳しく説明は出来ない、する必要もない、ただ意思は明確に伝えないといけない。

ごめん!どうしてもこの日休みたい、出来ることは事前にしていくから、もう一日だけお願いします!

と、はっきり、つよく、意志表示したら?

上司や同僚、お客さんの顔を思い浮かべてみる。
そうしたら。

あれ?もしかして休めるんじゃないか?

急にそんな気がしてきた。
まだ怖い、だけど、本人がはっきり強い意志を示したら、それを止めることなんて出来なくないか?

思い浮かべた仕事仲間たち、内心迷惑だとか不満だとか思ったとしても、休むのは許可しない、協力しない、なんて突っぱねるような人たちじゃない。そういう環境や風土でもない。

わたしが逆の立場でも、追加でまた一日休みが欲しいと言われたとして、本人の意志を止めるなんて出来ないし、しない。
長期不在になるわけではない、一週間の連休明けの翌週と言ったって、結局は単発の一日なのだから前後でカバー可能だし、チームでなんとかする。

もしかして、結局、自分だけが許していないだけじゃないか?
どう思われるか、悪く思われることが怖いだけで、休むことは“可能”だし、仕事も回る。

だったら、そこだけ覚悟したら、休むことは問題なく出来るんじゃないか?

あっさり。
想像したらあっさり、休むことは可能だと思えてきた。
ただそれを言い出すことが、私にとって怖すぎるだけで。

この時点で、追加で一日休みを取ることは、紐なしバンジーではなくなった、という感覚があった。
現実的に不可能なことではなくなったからだ。
私自身の覚悟ひとつあれば乗り越えられるものになったからだ。

感覚がすべてだ。いける、と感じたなら、もう状況は変わったということだ。
あとは覚悟を持つだけだ、どんなことになろうと引き受けるという覚悟を。

言い出すことを想像するとまだ怖かった。
この行動でどんな悪いことになると思って怖がっているんだろう?

誰かから不満をぶつけられたり、非難されたり、そして関係性が悪くなること?
それは怖い、毎日長い時間一緒に仕事をするのだから。そもそもチームをまとめる立場なのだから、自分で自分を苦しめることになる。

だけどこの一件でそこまで拗れるような関係性が、今のメンバー間にあるだろうか?
まず無い。もしあったとしたら、それは覚悟して向き合うしかない。
結局、わたしの意志ひとつだ。

プネー空港に到着して、タクシーを降りたときも、私はまだ、仕事を休んでパーティに参加する、と決断するには至ってなかった。

まだ足は震えていた。
衝撃が強くて、頭がぼーっとしていた。
正直、タクシーの中の会話で既に当初の深刻さは消えていた。
ただ、自分に起こったことを咀嚼する時間が必要だった。

国内線のフライトまで待ち時間が少しあった。

ベンチに座ってぼーっとしながら、または、空港内の小さな土産物屋を冷やかしながら、感じてみる。

まだ怖さが残っているものの、ここで追加の休み取得をチャレンジしない、という選択は無い。
きっとわたしは挑戦するだろう。
これがパーティに行く行かないという話ではないからだ、これからどう生きたいか、という話だからだ。
自分で自分を制限することをやめる、その表明の一歩だからだ。

心は既にパーティに参加した時のことを空想し始めた。

ピンクのワンピースをどう着こなす?靴は絶対買い足す必要がある。
インドツアーに参加してる仲間で、既にパーティにも参加すると決めていた子が、メイクをしてくれるサロンを調べていた。
わたしもヘアとメイク両方ともサロンに頼んでみよう。
パーティが開催されるラグジュアリーホテル、わたしがこれまで国内旅行でチャレンジしてきたホテルから、一泊の価格が何倍も跳ね上がる。
これまで泊まってきたホテルや旅館だって、充分良かった。
だけどそれ以上の、今の私にはとんでもない価格。高給取りとは決していえない会社員が絶対泊まらないホテルだ。
どんな感じなんだろう?

もしかして、パーティの後、そのまま一泊してみる?その可能性はある?
都内なんだから家に帰れるけど、絶対そのほうが気分が良い。
生き方を変える大きな気づきの記念にピッタリだ。
たった一泊でそんな価格だなんて怖い、でも、やってみたくない?
可能かどうか、そうするかどうかは置いておいて、思いついてしまったら、ものすごく泊まりたくなっているよね?

今度は素直に欲望を感じ、認められた。

 

 

哀れで、愚かで、いくじなし

タクシーが来たと声がかかり、混乱のまま、ホテルのエントランスへ歩き出す。
大事な話の最中だから、と主催者の女性も同じタクシーに乗ってくれた。

「本当は行きたいんだよ。
行く、行かないが問題じゃない。感じていないところだよ。
強欲を認めて表に出していこう、って決めたんだから、チャンスがやって来ちゃうんだよ。
感じないまま、無理って今までの自分の条件反射で突っぱねたら、チャンスを取りこぼすよ」

会話を続けながら、私の足元は震え、背中まで鳥肌が立った。
そして涙が溢れてきた。

その時はうまく言葉に出来なかった。
とにかくよくわからない衝撃と、挑戦への恐怖。

今はもう少し、涙の理由が説明できると思う。
おそらく、自分を哀れんでいたのだ。

私はホテルのロビーで話しかけられるまで、そのパーティに参加したいなんて一切、思わなかった。感じもしなかった。
キッパリと自分の意思で決意して、断った。
仕事を選択することに、微塵の疑いも迷いも無かった、検討もしなかった。

それが、本当は行きたい?
何も感じなかったのに?

平日で仕事を休まなければならない、という条件が無かったら、参加したい。
つまり、確かに参加したいんだ。
気持ちは追いついていなかったけど、理屈ではわかる。

それなのに、何も感じなかったのは、どういうこと?

仕事が第一条件だった。
このインド旅行のために、二週間後に平日まるまる五連休をくださいと言って取得した。
五連休を取ってる人なんて他にいない。
その一週間後に、また急に休みを取る?そんなこと、あり得ない!
考えもしなかった。絶対に有り得ないことだから。

欲を認めるだとか、無条件に望もうだとか、制限を手放そうだとか、そんなことを言っても、結局は、常に会社員として“許される範囲で”動くことが大前提だった。
そこから外れた選択は、始めから排除されていた。

仕事だけじゃない。
すべてのあらゆる条件。

ここまでなら“許される”と自分が考えている範囲。
ここまでなら親から許される、ここまでなら友だちに嫌われない、ここまでなら世間に受け入れられる。

それが、疑問の余地なく、常に不動の第一条件だった。

本当に一切気づかなかった。
だって、その制限の外のことは、望んでいるなんてことすら感じないよう、遮断していたんだから。
始めから無理なこととして、諦めていた。
欲しいことすら一切感じないようにしていた。
本当は欲しくても。

感じさせてもあげなかった。
自分で勝手に決めつけて。始めから無理だって。

無意識に、まったく感じないまま、私は自分で自分を制限してきたの?
何十年も、これまでずっと。

自分が哀れだった。
愚かで、馬鹿らしくて、かわいそうだった。

たぶん、だから泣けてきた。

許されないことを望んでいる、手に入らないものを欲している、その気持ちを認めたら、当然落胆する。悲しくなる。悔しくなる。傷つく。

その落胆を感じないために、私は一切に蓋をしていたんだ。
ガッカリしたくないから、自分が“許される”と考える領域の外のことは、欲しい気持ちを感じることさえ遮断した。
欲しくないという顔をした。自分を騙した。
落胆も、悔しさも、感じれば良かったのに。

なんという、哀れで、愚かで、いくじなしの負け犬!
責めているんじゃない、ただただかわいそうで、そして衝撃だった。

すべて理屈では理解していたことだ。

無意識の透明な檻があることも。
誰でも無い、自分こそが制限を作り出していることも。
感覚を書き換えて制限を手放していけること。
感覚に制限はない、どんな望みも考えも無制限に感じて良い、許されること。
落胆を避けず、しっかり感じて向き合うことが大切なこと。そうでないと本当に望むことが出来ないから。

すべて理解したうえで、コツコツ取り組んできたことだ。
そのはずだ。

それなのにこんなにも、結局すべて自分の制限の中だった。茶番劇のようで、ショックだった。

同時に、これが恐ろしく可能性に溢れた、大きな気づきであることを感じていた。

その時はうまく言葉に出来なくても、タクシーの中の会話で、次第にこれらのことに気づき、認めることが出来てきた。

本当は望んでいると気づいたところで、じゃあどうするのか?
キッパリ断ったのは、欲していないと思っていたからだ。

本当は欲しいと気づけても、五連休を取ったあとで、もう一日すぐに休むことがあり得ないことなのは変わらない。

「準備が出来たらチャンスがやって来るんじゃない、いつでもチャンスを掴むのは怖いものなんだよ。
今までやって来なかったこと、自分の枠外のことを望んでいるんだから、当然乗り越えるときは怖いんだよ」

そう教えてもらいながらも、足元の震えは止まらない。
望みを叶えてあげたい。今このタイミングのこの選択が、単なるパーティに行きたいかどうかという話ではなく、生き方を変えていきたいという望みの話だとわかっていた。

わたしは、自分の欲を認める、自分の本当の望みに向かう、自分の真実を生きる。過去と未来ではなく今この瞬間を選択して生きる。
そう生きたい。

だけど。
どう考えても怖い。

これまでの信頼と信用があるから、仕事仲間もお客さんも、快く旅行に送り出してくれて、様々に協力してくれたのだ。
そこへ戻ってすぐまた休みが欲しいなんて、言えない。
それは私が考える、会社員として籍を置く以上果たすべきこと、から外れている。
いや、もっと正直に言えば、明らかにめちゃくちゃで、自分勝手で、信頼を裏切って、メンバーに仕事を押し付けて自分は働かず休む、最悪に感じ悪いヒンシュク野郎だと“思われる”のが怖い。
せっかく良い雰囲気を作り上げてきたのに、壊れるのが怖い。
ダメなやつ、と烙印を押されるのが怖い。

休みを取るくらいで、大げさな?
でも実際私はそう感じているんだ、あり得ないことをするのか、それとも諦めるのか。
どちらも恐い。

まただ、またこの、前にも後ろにも進めない、崖の間で身動きが取れない緊張感と恐怖。精神分裂症のカード。
古いパターンが稲妻に打ち砕かれ崩壊するサンダーボルトのカード。
その絵柄が脳裏によぎる。

 

ピンクパーティ

朝の瞑想を終え、アシュラムを後にし、ホテルに戻って朝食を食べる。
全員でこれまでのツアーを振り返り、シェアしながらゆっくり朝の時間を過ごした。

その後支度をして、プネー空港に向かおうとロビーに集合した際に、それは起こった。

「しょこちゃん、ピンクパーティ来ないの?」

ツアー主催者であり、内観コミュニティの主宰者である女性が、インドから帰った翌週、高級ホテルでパーティを企画していた。
前日にインスタグラムで参加者募集の投稿をしているのを見かけ、インド瞑想ツアーの最中にもすぐに次の企画に向けて動いているなんて、すごいなあと眺めていた。

それだけで、自分が参加する、申し込む、という気はまったく無かった。

参加しないと考えた理由はいくつかあった。

そのパーティは、女子とピンクをテーマにしており、シャンデリアがキラキラした空間やピンクのドレスコード、その時はそこまで惹かれなかった。
インド旅行の後すぐのようだから、まだゆっくりしていたい、旅行記も書くのだし。
この旅行前後でお金を相当使っている。欲を認めると言っても、ピンと来てないものにお金を使う必要はない。
何よりパッと目に入った日付が、何曜日かわからないけど平日だということだけはわかった。平日は仕事だ。

だからチラリと見て、自分には関係ないものとして流した。
そのことに何も感じなかった。

それを翌日、ホテルのロビーで直接声をかけてもらった。
嬉しい半分、断らなければならない、と気まずさが走った。

念のため日程だけ、ダメモトの確認で聞いてみる。
もし土日で予定があいてたら、声をかけてもらったのだし、参加してみても良いかもしれないと思ったから。

やはり、帰国から約一週間後、平日火曜日の開催だった。
仕事なので断らなければならない。

決めるとき、選択するときは、はっきり決断するのが良いと思っている。
わたしは仕事をするという選択を取る。
いずれ現在の仕事を辞することを考えているとはいえ、それとめちゃくちゃすることとは別だ。
会社に籍を置いて仕事することを現在選択している以上、果たすべきことがある。
休み放題とはいかない。

今回は仕事なので、行きません。

行“けない”でも参加“出来ない”でもない、行“かない”、参加“しない”とはっきり断った。
わたしの選択、意思だからだ。

後から聞いたが、このとき私の顔は、緊張感に満ち、ほとんど怒りに近い表情だったらしい。
はっきり断らなければならない、と強く思っていた。

都合がつかないから行かない、普通のことだ。
気まずいとしたって、残念な顔や申し訳ない顔ならまだしも、怒りを表すのは何故なのか。
反発、抵抗、その裏にある緊張と恐れ。
意識は追いついていなくても、身体と本心は知っていたのだ、この後の展開を。

主宰者の女性は意外な、不思議そうな顔をした。

「ゾルバの物質的な豊かさ、強欲を認めるって、望んだよね?
それにピッタリの、高級ホテルで女の強欲が詰まったパーティーがあるのに、参加しないの?
本当に仕事は調整出来ないの?」

私の心は動かなかった。
強欲を認めるといっても、そこまで強く欲していないものに、日常生活の場を荒らしてまで参加する?
無い。

「参加する、しない、が重要なわけじゃない。
仕事があるから行かない、それでも良い、行かなきゃいけない、なんてことはない。
でも、行きたいのか、行きたくないのか、それすら感じもしないでチャンスを断ってるの、わかる?」

わからなかった。
仕事を休んでまで、荒らしてまで、強行しようというほど、強く惹かれてはない、そう感じていることがハッキリした意思で結論ではないのか。

「ねえ、もし仕事も何も予定が無かったら?
そしたらどうする?」

この問いでやっと、私の中の何かが揺らいだ。
仕事も何も予定がまったく無かったら?完全に空いている一日なら?
それはもちろん、参加する。
お金がかかると言ったって問題なく払える金額だし、そもそもその金額で超高級ホテルの空間を味わえるなんてお得だし、いつもなら着ないピンクのドレスワンピースでばっちりヘアメイクして行くなんて非日常も楽しそう。
一緒にインドツアーに来ている仲間も参加するし、他にもコミュニティの友達も来ていそうだし、新しく出会う人と話すのも楽しい。
人が集まる場のエネルギー、感覚を味わうことは貴重なことだってわかっているし。

仕事も何も予定が無かったら、そりゃ当然参加するに決まってます。

またもやキッパリ、今度はそう答えていた。

「だよね!ほら、ほんとは行きたいでしょ?
わかる?それを感じもしないで、無理!って始めから閉じて断っていたの、わかる?」

一瞬、何を言われたのか、わからなかった。

「その、本当は行きたいという気持ちを感じたうえで、本当に行けないのか考えてみて。
仕事が休めない、仕事だから行かない、それでも良いんだよ。
それなら、本当は行きたいのに悔しい、ってちゃんと感じてみて」

私の中は激しく混乱していた。

私ははっきり、そこまで惹かれないと感じていたし、行かないと自分の意思で決めていた。
でも、本当は行きたい?行きたいの?
数分前までのキッパリ断っていた自分と、今何も予定が無かったら当然行くと答えた自分。

確かに何も予定がなかったら、当然参加する。それを選ぶ。
それって参加したいってことなの?
その予定という条件、それが外れたら、参加を選ぶのだから。

予定という条件、つまり、仕事。

ゾワッと何かが這い上がって来た。
何か、何か開いてはいけないものを開いてしまいそうな。