インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

哀れで、愚かで、いくじなし

タクシーが来たと声がかかり、混乱のまま、ホテルのエントランスへ歩き出す。
大事な話の最中だから、と主催者の女性も同じタクシーに乗ってくれた。

「本当は行きたいんだよ。
行く、行かないが問題じゃない。感じていないところだよ。
強欲を認めて表に出していこう、って決めたんだから、チャンスがやって来ちゃうんだよ。
感じないまま、無理って今までの自分の条件反射で突っぱねたら、チャンスを取りこぼすよ」

会話を続けながら、私の足元は震え、背中まで鳥肌が立った。
そして涙が溢れてきた。

その時はうまく言葉に出来なかった。
とにかくよくわからない衝撃と、挑戦への恐怖。

今はもう少し、涙の理由が説明できると思う。
おそらく、自分を哀れんでいたのだ。

私はホテルのロビーで話しかけられるまで、そのパーティに参加したいなんて一切、思わなかった。感じもしなかった。
キッパリと自分の意思で決意して、断った。
仕事を選択することに、微塵の疑いも迷いも無かった、検討もしなかった。

それが、本当は行きたい?
何も感じなかったのに?

平日で仕事を休まなければならない、という条件が無かったら、参加したい。
つまり、確かに参加したいんだ。
気持ちは追いついていなかったけど、理屈ではわかる。

それなのに、何も感じなかったのは、どういうこと?

仕事が第一条件だった。
このインド旅行のために、二週間後に平日まるまる五連休をくださいと言って取得した。
五連休を取ってる人なんて他にいない。
その一週間後に、また急に休みを取る?そんなこと、あり得ない!
考えもしなかった。絶対に有り得ないことだから。

欲を認めるだとか、無条件に望もうだとか、制限を手放そうだとか、そんなことを言っても、結局は、常に会社員として“許される範囲で”動くことが大前提だった。
そこから外れた選択は、始めから排除されていた。

仕事だけじゃない。
すべてのあらゆる条件。

ここまでなら“許される”と自分が考えている範囲。
ここまでなら親から許される、ここまでなら友だちに嫌われない、ここまでなら世間に受け入れられる。

それが、疑問の余地なく、常に不動の第一条件だった。

本当に一切気づかなかった。
だって、その制限の外のことは、望んでいるなんてことすら感じないよう、遮断していたんだから。
始めから無理なこととして、諦めていた。
欲しいことすら一切感じないようにしていた。
本当は欲しくても。

感じさせてもあげなかった。
自分で勝手に決めつけて。始めから無理だって。

無意識に、まったく感じないまま、私は自分で自分を制限してきたの?
何十年も、これまでずっと。

自分が哀れだった。
愚かで、馬鹿らしくて、かわいそうだった。

たぶん、だから泣けてきた。

許されないことを望んでいる、手に入らないものを欲している、その気持ちを認めたら、当然落胆する。悲しくなる。悔しくなる。傷つく。

その落胆を感じないために、私は一切に蓋をしていたんだ。
ガッカリしたくないから、自分が“許される”と考える領域の外のことは、欲しい気持ちを感じることさえ遮断した。
欲しくないという顔をした。自分を騙した。
落胆も、悔しさも、感じれば良かったのに。

なんという、哀れで、愚かで、いくじなしの負け犬!
責めているんじゃない、ただただかわいそうで、そして衝撃だった。

すべて理屈では理解していたことだ。

無意識の透明な檻があることも。
誰でも無い、自分こそが制限を作り出していることも。
感覚を書き換えて制限を手放していけること。
感覚に制限はない、どんな望みも考えも無制限に感じて良い、許されること。
落胆を避けず、しっかり感じて向き合うことが大切なこと。そうでないと本当に望むことが出来ないから。

すべて理解したうえで、コツコツ取り組んできたことだ。
そのはずだ。

それなのにこんなにも、結局すべて自分の制限の中だった。茶番劇のようで、ショックだった。

同時に、これが恐ろしく可能性に溢れた、大きな気づきであることを感じていた。

その時はうまく言葉に出来なくても、タクシーの中の会話で、次第にこれらのことに気づき、認めることが出来てきた。

本当は望んでいると気づいたところで、じゃあどうするのか?
キッパリ断ったのは、欲していないと思っていたからだ。

本当は欲しいと気づけても、五連休を取ったあとで、もう一日すぐに休むことがあり得ないことなのは変わらない。

「準備が出来たらチャンスがやって来るんじゃない、いつでもチャンスを掴むのは怖いものなんだよ。
今までやって来なかったこと、自分の枠外のことを望んでいるんだから、当然乗り越えるときは怖いんだよ」

そう教えてもらいながらも、足元の震えは止まらない。
望みを叶えてあげたい。今このタイミングのこの選択が、単なるパーティに行きたいかどうかという話ではなく、生き方を変えていきたいという望みの話だとわかっていた。

わたしは、自分の欲を認める、自分の本当の望みに向かう、自分の真実を生きる。過去と未来ではなく今この瞬間を選択して生きる。
そう生きたい。

だけど。
どう考えても怖い。

これまでの信頼と信用があるから、仕事仲間もお客さんも、快く旅行に送り出してくれて、様々に協力してくれたのだ。
そこへ戻ってすぐまた休みが欲しいなんて、言えない。
それは私が考える、会社員として籍を置く以上果たすべきこと、から外れている。
いや、もっと正直に言えば、明らかにめちゃくちゃで、自分勝手で、信頼を裏切って、メンバーに仕事を押し付けて自分は働かず休む、最悪に感じ悪いヒンシュク野郎だと“思われる”のが怖い。
せっかく良い雰囲気を作り上げてきたのに、壊れるのが怖い。
ダメなやつ、と烙印を押されるのが怖い。

休みを取るくらいで、大げさな?
でも実際私はそう感じているんだ、あり得ないことをするのか、それとも諦めるのか。
どちらも恐い。

まただ、またこの、前にも後ろにも進めない、崖の間で身動きが取れない緊張感と恐怖。精神分裂症のカード。
古いパターンが稲妻に打ち砕かれ崩壊するサンダーボルトのカード。
その絵柄が脳裏によぎる。