インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

バンジー

緊張感と恐れに包まれながら、呼吸してただ自分の感覚と、目の前の会話に集中する。

「出来ない、恐いと感じてガチガチになったまま、無理矢理やらなきゃいけないっていうことじゃないよ。むしろその感覚が伝わってしまうから、無理!って思ったままやるのは違う。
でも本当に調整出来ないのか、感じてみて。
もし病気で高熱が出たら休むでしょ?だから休めないということは本当はないんだよ。
例えば、本当に本当にごめん!もう一日だけ休みたい!って頭下げてお願いしたら、休めたりしない?」

恐怖に呑み込まれたまま、無理矢理行動すること。
それをわたしたちの仲間うちでは「バンジー」と呼ぶ。正確には紐なしバンジーだろう。
感覚が世界を創るというメカニズムにおいて、絶対無理、と思いながらチャレンジするのは事故しか生まない。

インド旅行に出立する前のわたし自身もそのことはわかっていて、この旅行記にも書いている。

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もし怖すぎて動けないのなら、重すぎて動けないのなら、その感覚を無視して無理矢理行動はしなくていい、してはいけない。
その現在の感覚、感覚の現在地を感じないで、遠すぎるものを無理矢理実行しても、感覚が動かないなら意味が無くなってしまう。

いつでも感覚の現在地から始まる。
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無謀な行動か、それとも自分の制限を乗り越える勇気ある一歩か、その違いは感覚だ。
行動すること自体がバンジーじゃない、どういう感覚で行動するか、それが重要だ。

休みを取るというだけのことだが、この時点の私にとって、それは紐なしバンジーだった。
恐怖に包まれた無謀な行為で、とても崖から飛び降りるなんて出来ない。

だけど、恐怖を感じながらも、深呼吸して、言われた通り、想像してみる。
これまで怖くて想像すらしなかったことを。
ごめん!もう一日だけ休ませてください!そう実際に職場でお願いする場面を。
具体的に。

まず、体調不良などと言って当日ブッチ切るのは無理だ、最悪の気分にしかならないだろうから。
行くなら真正面からお願いするしかない。

お願いするなら、こちらもハラを決めていないとならない。
おずおず、もし出来るなら追加で一日休みたくて……なんて曖昧なのは、余計に状況を悪くする。
何か担当の案件があるかもしれない、会議が入ってるかもしれない、迷惑をかけるのは仕方ない。
理由も詳しく説明は出来ない、する必要もない、ただ意思は明確に伝えないといけない。

ごめん!どうしてもこの日休みたい、出来ることは事前にしていくから、もう一日だけお願いします!

と、はっきり、つよく、意志表示したら?

上司や同僚、お客さんの顔を思い浮かべてみる。
そうしたら。

あれ?もしかして休めるんじゃないか?

急にそんな気がしてきた。
まだ怖い、だけど、本人がはっきり強い意志を示したら、それを止めることなんて出来なくないか?

思い浮かべた仕事仲間たち、内心迷惑だとか不満だとか思ったとしても、休むのは許可しない、協力しない、なんて突っぱねるような人たちじゃない。そういう環境や風土でもない。

わたしが逆の立場でも、追加でまた一日休みが欲しいと言われたとして、本人の意志を止めるなんて出来ないし、しない。
長期不在になるわけではない、一週間の連休明けの翌週と言ったって、結局は単発の一日なのだから前後でカバー可能だし、チームでなんとかする。

もしかして、結局、自分だけが許していないだけじゃないか?
どう思われるか、悪く思われることが怖いだけで、休むことは“可能”だし、仕事も回る。

だったら、そこだけ覚悟したら、休むことは問題なく出来るんじゃないか?

あっさり。
想像したらあっさり、休むことは可能だと思えてきた。
ただそれを言い出すことが、私にとって怖すぎるだけで。

この時点で、追加で一日休みを取ることは、紐なしバンジーではなくなった、という感覚があった。
現実的に不可能なことではなくなったからだ。
私自身の覚悟ひとつあれば乗り越えられるものになったからだ。

感覚がすべてだ。いける、と感じたなら、もう状況は変わったということだ。
あとは覚悟を持つだけだ、どんなことになろうと引き受けるという覚悟を。

言い出すことを想像するとまだ怖かった。
この行動でどんな悪いことになると思って怖がっているんだろう?

誰かから不満をぶつけられたり、非難されたり、そして関係性が悪くなること?
それは怖い、毎日長い時間一緒に仕事をするのだから。そもそもチームをまとめる立場なのだから、自分で自分を苦しめることになる。

だけどこの一件でそこまで拗れるような関係性が、今のメンバー間にあるだろうか?
まず無い。もしあったとしたら、それは覚悟して向き合うしかない。
結局、わたしの意志ひとつだ。

プネー空港に到着して、タクシーを降りたときも、私はまだ、仕事を休んでパーティに参加する、と決断するには至ってなかった。

まだ足は震えていた。
衝撃が強くて、頭がぼーっとしていた。
正直、タクシーの中の会話で既に当初の深刻さは消えていた。
ただ、自分に起こったことを咀嚼する時間が必要だった。

国内線のフライトまで待ち時間が少しあった。

ベンチに座ってぼーっとしながら、または、空港内の小さな土産物屋を冷やかしながら、感じてみる。

まだ怖さが残っているものの、ここで追加の休み取得をチャレンジしない、という選択は無い。
きっとわたしは挑戦するだろう。
これがパーティに行く行かないという話ではないからだ、これからどう生きたいか、という話だからだ。
自分で自分を制限することをやめる、その表明の一歩だからだ。

心は既にパーティに参加した時のことを空想し始めた。

ピンクのワンピースをどう着こなす?靴は絶対買い足す必要がある。
インドツアーに参加してる仲間で、既にパーティにも参加すると決めていた子が、メイクをしてくれるサロンを調べていた。
わたしもヘアとメイク両方ともサロンに頼んでみよう。
パーティが開催されるラグジュアリーホテル、わたしがこれまで国内旅行でチャレンジしてきたホテルから、一泊の価格が何倍も跳ね上がる。
これまで泊まってきたホテルや旅館だって、充分良かった。
だけどそれ以上の、今の私にはとんでもない価格。高給取りとは決していえない会社員が絶対泊まらないホテルだ。
どんな感じなんだろう?

もしかして、パーティの後、そのまま一泊してみる?その可能性はある?
都内なんだから家に帰れるけど、絶対そのほうが気分が良い。
生き方を変える大きな気づきの記念にピッタリだ。
たった一泊でそんな価格だなんて怖い、でも、やってみたくない?
可能かどうか、そうするかどうかは置いておいて、思いついてしまったら、ものすごく泊まりたくなっているよね?

今度は素直に欲望を感じ、認められた。