インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

日の出とともに

明けて、インド滞在二日目。
本日は午前中にOSHOアシュラムに行って、まずは登録などの手続きを済ませる必要がある。
瞑想プログラムを受けるのは昼からになる予定だ。

寝たのは遅かったけど、朝六時の目覚ましが鳴るより早く、目が覚めた。
なぜならインドの時差はマイナス三時間半。
日本にいたらもうすっかり起きて活動している時間だから。
身体は日本基準なのだ。

今回の旅で、わたしたちは三人部屋。
一人部屋を希望しなかった。
十何年も一人暮らしで、一人に慣れた身には少しチャレンジだったけど、せっかくだから気づいたことや感想など、いろんな話を分かち合って過ごしたかったのだ。


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まだ薄暗く、ほかの二人が寝てる様子の中、ベッドで前日の気づきなどをスマホにメモする。
そうこうしているうちにトイレに行きたくなって、そろーりとバスルームへ。

電気をつけた途端気づいたけど、バスルームの壁が半透明なので、すっかり寝室まで明るくなってしまった。

しまったな、と思った。
人を起こしてはいけない、申し訳ないという気持ちが出てきた。
その本心は、気分を害することをして嫌われたくない、という保身なのだけど。
日本にいるときも大抵早起きな私は、誰かと泊まるときはそっと静かに人が起きるまで動かず待っている。
そもそも起床時間に限らず、人と一緒にいるときは、なんでも人に合わせるのが無意識の習慣になっているのだ。

だから一人が楽だなんて言い出すのだろう。

でも今回はもう電気はつけてしまったのだし、それでも起きてしまう様子もないし、まったく眠くも無いし、自然と気にせずリラックスしてバスルームで化粧したり、ゆっくり支度できた。

そうこうしているうちに思いついた。
日の出の時刻を調べよう。

わたしはこのインドツアーが企画された内観コミュニティが始まってから数ヶ月、毎朝必ずタロットカードを引いている。
それは占いではなく、わたしたちの内観の方法なのだ。

せっかく高層階に宿泊していて、暗いうちに起き出したのだから、日の出の瞬間にカードを引くなんて、最高じゃない?

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もうすぐ日の出という時間に、OSHO禅タロットカードを持って窓際に腰掛けたら、それを察知したように同室の二人も自然に起きて出して来た。

カーテンを開け放って、日の出とともにカードを引くことを提案する。
うっすら明るくなってきた霞がかったプネーの街と空を見ながら、三人で「今日を最高の一日にするために、気づく必要があること」の意図で、一枚ずつカードを引いた。

出たカードはそれぞれ「再誕生」「精神分裂症」「妥協」

解説書を読みながら、思い浮かぶことを話し合っていく。
どのカードについても自分に思い当たることがあって、それぞれの気づきとして別々に引いたけれど、まるで三枚で一セットの解答みたいだね、なんて言い合った。

実際その通りだと思う。

この時、わたしの引いたカードは「再誕生」
人の意識レベルは、怠惰なラクダ、反逆のライオン、そして無垢で自然体な子ども、と進化していく、というカードだ。

人は、自分のことは良く解釈したがる。
わたしもこの時、自然体に戻ろう、というような綺麗な解釈をした。
今思い返すと、ライオンから子どもへ、という最終段階の話ではなかった。
わたしはまず、怠惰でエネルギーのないラクダを抜け、ライオンとして自分の真理を吠える必要があったのだ。

そして自分のことより、人のことのほうが、直視しやすい。
だから、他の二人が引いたカード「精神分裂症」「妥協」のほうが、わたしの意識に引っかかった。

「精神分裂症」それは二つの選択肢の間で、どちらが良いのか思考でアレコレ考えて、身動き取れなくなっている図……
「妥協」は、調和と妥協は異なる、屈服してすり寄ることで何かを得ようとしていることに気づこう、妥協で得たものは苦い……
というようなカード。

認めたくないけど、触れたくないけど、このメッセージで思いつくことは一つ。

会社員を続けるか、それとも自分で稼いでいく道を模索するか。

これは数年、考えてきたことだった。
違う生き方をしてみたい、自分で何かしたい、そう考えながらも、それはいつでもぼんやりしていた。

いろんなフェーズがあった。
今すぐ仕事を辞めたいと思った時期もあれば、今の仕事にやりがいが再燃した時期も、仕事を続けながら問題にならない範囲で出来ることをすればいいよではないか(副業禁止なのだけど)と思う時期もあった。

近頃では、ここまでやり遂げる、という自分の中の線引きまで全うしたら、今の仕事を辞めることを考えよう。
その時までにどうやって生きていくのか、つまりお金のことを解決しよう、なにも思いつかないけど。
いつか、いつか考えよう。
急ぐ必要はない、今の仕事だって悪くはないのだから。

という、全くもって「精神分裂症」だった。
そして「妥協」でもある。

これは出来るだけ直視せず、口にも出したくないことだった。
見ないフリをしていたかった。

この朝、三人でカードを見たときに、どこまで正直に話せたかは覚えていない。
大きなトピックスであるにも関わらず、わたしはこの気づきのためのツアーで、この問題に光を当てようとは意図していなかった。

正直、不自然に触れず避けようとしていることに自覚もあったほどだ。
それでも、そっと隠して手をつけずに旅を乗り切りたい。
そのくらいの気持ちだったのだ。