インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

ヒビ

カードは無意識の答えを示す。

人の思考は巧妙で、自分の本心や思い込みを捉えることは難しい。
だからカードを使って内観するのだ。

どうしたってカードには表れてしまう。

会社員を続けるか、それとも……
という問題に触れずにこの旅を終わらせようとしていた私だったが、そうは問屋が卸さない。


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カリカリのベーコンに、その場で焼いてくれるインド料理のドーサ(クレープ)、好きな具材を混ぜたオムレツ。
パンケーキには、はちみつたっぷりとチョコチップを乗せて、美味しいスイカジュースも堪能。
その他、夕食と同じくらい並ぶ、たくさんの美味しい料理。
モーニングのビュッフェも最高で、たくさん食べて、やっぱりご機嫌。

そんな朝食を食べて支度をした後、ロビーに集合した。

そこからトゥクトゥクでOSHOアシュラムに向かうのだけど、その前に、内観コミュニティの主催であり、このインドツアーの主宰者でもある女性が、一人一人みんなにカードを引いてくた。

そのカードを見たときの私の心境を表すと、
「ああああああああああ」
つまり叫びたかった。

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二種類のカードが示したのは「精神分裂症」と「宇宙」

「精神分裂症」は、日の出とともに引いたカードとまったく同じである。
「宇宙」は氣・龍神タロットのカードで、完成、何かが終わっていく時、というような意味。

見ないフリしたがっている、会社員を続けるか、それとも自分で稼いでいく道を模索するか、ということ。
むしろ二択ではないのだ、もうわたしは外へ出たがっている。

それがさっそく、白日のもとに晒されてしまった!

そんな気持ちだった。

この時は出発前で、はっきりと口に出して話す機会はなかったけれど、もう無視出来ない。
結局、カードにはすべて表れてしまうのだから。

ここで、今回のインド瞑想ツアー参加にあたり、わたしの立てた意図を話しておきたい。

出立前に書いたように、このツアー参加を決めたのは「これがわたしのブレイクスルーだ!」という直観による衝動だった。
そして申し込むにあたって、この旅でどうありたいのか、“意図”を立てた。

それは、何故かずっと怖くて出来なかったこと。
文章作品を書いていきたいという欲求に向き合い、実際に書き始めること。

そう、このインド旅行記を書き始めることだ!

イラスト、ハンドメイド、ダンス、動画。
わたしは表現活動が大好き。
あくまで趣味とはいえ、人に見てもらう機会や、自分なりにひとつの作品として形にはなっていると感じていた。

文章以外は。

文章を書くこと自体は好きで得意なのに、まるで形に出来たことが無い。

欲求は常にあった。
おそらく物語だと思うのだけど、何かが「外に出たい」と内側から突き上げてくるのだ。
だけどごめんね、まったく捉えられないのだ。
わたしだって外に出してあげたいし、わたしこそがその物語を読みたい。
だけど、捕まえられない、書き出そうとしても何のことかわからず、霧散してしまう。
ごめんね、そう呟いて、内側の衝動にそっと蓋をする。

さらにその蓋の上には、たくさんの暴走した思考、エゴの声が降り注ぐ。

馬鹿げてる、本当に書けると思っているの?
恥ずかしいやつ。大勘違いヤロウ。
世に出るような作品を書けるなんて、ほんの一握り。
それはお前じゃ無い。
言葉なんて誰でも書ける。
実際書けたとしても、夢が終わって死ぬほど惨めな思いをするだけ。
ただの現実逃避でしょ?現実を見ろよ。

そんなことを長年、繰り返してきた。

だけど、自分の内側に向き合ってきたこの一年半。
ついにその蓋が緩まったのだ。

このインド旅行の話が出たとき、ひとつの思い出がフラッシュバックした。

小学校の修学旅行の後、修学旅行記を書くという宿題が出た。
四百字詰原稿用紙で最低二十枚以上が条件。

出来事だけ書いていても二十枚埋まらないので、自分の感じたことなんかを書いた。
例えば、新幹線の窓から流れる風景を静かに見ていたとき「旅」という感じがしたこと。言葉ひとつで印象が変わって、「旅行」というより「旅」と言う方が断然風情があって好きだということなど。

そんな苦し紛れに捻り出したギリギリ二十枚の修学旅行記が、クラスで一番の評価をもらった。
五十枚以上書いた子も居たなかで。

一学年一クラスしかない小さな田舎の小学校での話だ。
だけど、この時わたしは初めて気づいた。
自分は文章が得意らしい。
それに自分で読んでみても面白かったのだ。
当然だ、自分が面白いように書いているのだから。

その思い出がよみがえってきて、気づいたのだ。
あの修学旅行記は、わたしが唯一成立させられた文章作品だった!
今回、インドツアーで得た気づきを、インド旅行記として形にするなら、書けるのではないか?

そうして、インド出発前、旅行が決まった瞬間から、この旅行記を公開ブログで書き始めた。

この旅行をわたしの文章表現の始まりにしよう、書くことに本気で向き合おう。
そう決めた。

それがこのインドツアーにわたしが立てた意図だ。

この意図は、例の「会社員を続けるか、それとも……」の問題とは関係のない別の話だと思い込もうとしていた。

だって、文章を書くなんて、フルタイムの仕事をしながらでもやれることでしょう?
作品を書き表すこと自体が目的で、作品で稼ぐことが目的なわけでもないし、本職の余暇で出来て、副業禁止だろうと関係ない。

まさか、作品を書くことで充分に生活出来るほど稼げるなんて、そんな夢見るほど寝ぼけたことを言うつもりはない。

そうだよ、だから将来的にはともかく、今は安定した仕事で生活して、余りの時間で書けばいいじゃないか。
もちろん本当は書くことだけに打ち込めれば最高だけど……すべてのエネルギーを創作に注げたら最高だけど……
それはいずれ考えよう、きっといつか何か方法を思いつくかもしれない。

そんな気持ちでいたから、むしろ、どうすれば今この瞬間にもっと全力で集中できるのか?を知りたい、というダミーの意図を追加で立てていた。
もうネタ明かしされているので、今はわかる。
これはダミーだ。

仕事に対する集中力が落ちているけど、大半の時間を過ごすのだから、仕事も充実させたい。
文章を書くことにもエネルギーを注いで行きたい。
両立させるには、もっと今この瞬間、とにかく瞬間全力集中する必要がある、だからそれをこのインドで得たい!

そんなダミーの意図に「精神分裂症」のカードがヒビを入れ始める……