インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

You live in the past !

クンダリーニ瞑想で汗だくになった後(その上大理石に寝転んで冷えている)、次のイブニング・ミーティングまでは少し時間がある。

その間にシャワーを浴びて清潔にして、ホワイトローブに着替えて、またOSHOオーディトリアムに集合する。
このイブニング・ミーティングは盛りだくさんで手順も少し複雑だ。

はじめはダンスから始まり、ダンスの途中にOSHO!と叫ぶタイミングが数度ある。
クンダリーニで気づいた自分の作為を手放すため、ダンスは力まず、自然体でいようとした。

ダンスの後は、沈黙して座り、OSHOの講和ビデオが始まる。
重要なのは話している内容ではないらしく、思考を鎮めるための方便だという。実際、英語の講和はわたしにはほぼ分からないので、無理に理解しようとすることをやめた。
OSHOが存命の頃はきっと直接講和を聞いたのだろう。

講和ビデオの後は、ジベリッシュという訳の分からない言葉のような音をまくしたて、ドラムの音でストップしたあと、ばたりと倒れる。
というような内容だったと思う。

正直いって、OSHOの講和ビデオの最中は眠かった。
昼間から散々動き回って、身体も疲れている。
わからない英語をただの音として聴きながら、朦朧としてくる。

朝のオリエンテーションでこのイブニング・ミーティングのことも軽く説明を受けていた。
OSHOは講和の中でたびたびジョークを飛ばすので、そこは笑うところだと。
多分この「OSHOのジョークで笑うように」と言うこと自体が、オリエンテーション・ジョークのようだった。

このジョークによる笑いが起こったときに、ハッと目が覚めたりする。

ジョーク以外で、急に目が覚めてきたタイミングが一度だけあった。
正確には覚えていないけど、あのOSHOの強い目力と言葉で、ある一言が突き刺さった。

You live in the past !

もしかしたらtheyだったかもしれないし、まったくの勘違いかもしれない。
だけど、とあるせぇるすまんにドーーーンと指をさされたかのように、そう聞こえた。

その通り。

過去の記憶によるパターン、過去から出来た習慣で私は生きている。
過去を材料にして、未来を心配し、計算・計算・計算しているだけ。

今この瞬間、現在になんて生きていないのだ。

何か抵抗があるとか、トラウマがあるとか、個別の要因もあるかもしれないけど、そんな深い話じゃない。

単純に習慣なのだ。

気づいていなかったのだ。
今を生きているつもりで、過去を生きているということに。
過去を生きることが、生きることだと思っていることに。

過去を見て、過去を学習して、生きる。
それが賢い、正しい、向上心ある生き方でしょう?
そう思っていたのだ。

今現在、この瞬間なんて見てないのだ。
今この瞬間を感じて、味わってなんていないのだ。
単純にそういう習慣だったのだ。

それに気づいたら、今を生きられる気がしてきた。

夜、ホテルに戻ってきて、昨夜と同じくホテルのビュッフェで夕食。
昨日に引き続き、ケーキとコーヒーまで好きなだけいただき大満足。

食事しながら、今日の感想を話し合う。
そして食後に、このインドツアーの主催者であり、わたしたちが参加している内観コミュニティの主宰者である女性が、全員にそれぞれカードを引いてセッションをしてくれた。

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わたしのカードは「THUNDERBOLT<稲妻>」と「Awakening<覚醒>」

サンダーボルトは、稲妻を受け、燃え、揺さぶられ、やむにやまれず塔から吹き飛ばされて落ちる人が描かれている。
人生が大きく変わるような変容が起こるときに引くカード。

アウェイクニングは、覚醒したがっている、本当の自分を、魂の道を生きたがっていることを示すカード。

心当たりがある?

そう聞かれて、もちろん白状せざるを得なかった。

朝に引いたカード「精神分裂症」と「宇宙」
その時からもう気づいていたこと。

今の慣れ親しんだ会社員としての生き方。
本当はもう、それとは違う生き方をしてみたいと思っていること。
だけど安全から、いい塩梅とろうとしたり、いつかいつかと見ないフリしていること。

そうしたい!飛び出したい!衝動と、まだまだ準備出来てない、まだまだ熟考できてない、と安全にしがみつく気持ち。

だって、次に何をしたいのか、明確なプランと収入源の目処が立ってない内に職を手放すなんて、頭オカシイでしょ?
やっぱりまた仕事探そうってなったって、私は高待遇の仕事が次々見つかるようなスキルがある人間じゃないの、年齢も厳しいの、今より条件落ちるだけ。
もし辞めたいなら、自分で生きていけるって確実に安定した結果を証明してからにしてよ。
それが私のなかの常識なんだから。

真っ二つの崖にまたがって、前にも後ろにも進めず、身動き取れず、どうしていいかわからない。

この安全へのしがみつき、それがもう限界が来てるの?
稲妻に破壊され、手を離さざるを得ない時が来ているの?
破壊のあとに、再生があることを受け入れて。

準備が整ったら次へ行ける、と言うことじゃないんだよ。
決めたら流れが来るんだよ。
まずは決めること!

そうアドバイスを受けながら、この時、急にわかったのだ。

「今この瞬間にもっと集中したい」

それは本当にその通りでもあるけど、ダミーの望み、意図だったんだ。

変わりたがっていることに抵抗していたから、そのことを見ないようにしていたから、仕事に対する集中力が無くなっていることを瞑想のテクニックでカバーしてようとしていたんだ。

必要なのはそんな集中のためのテクニックなんかじゃない。
根本的に、今この瞬間、何にエネルギーを注いで生きたいかっていうことだ。

今の仕事を自分ゴトとして自分の選択として、自分のエネルギーを使ってやるのか?ってことだ。
その生き方、その時間の過ごし方を、今選ぶのかってことだ。

過去はそうだったかもしれない。
現実としてその仕事を選ぶ以上、自分ゴトとして、自分の選択として、エネルギーを注いで誠実に向き合ってきたつもりだ。
続ける間はもちろんそうするつもりだ、したかった。

でも今、そう出来る?
意志の力を振り絞って集中しようとしているけど、出来てるの?
限界じゃない?

そんなことを突きつけられて、でも二つの崖の間で身動き取れないのは変わらない。
恐怖の中で手を離すなんて出来ない。

過去を生きているとわかっていても。

もうちょっとこの辺、詳しくおしえてくれない?
覚悟の決め方や、具体的なこと。

誰にということもなく、そうお願いしながら、その日は混乱のなか眠りについた。