インド滞在三日目、OSHOアシュラム二日目。
この日は、早朝六時からのダイナミック瞑想に参加すべく、朝五時起き。
寝たのは遅かったけど、すんなり起きることが出来た、身体は日本仕様だから。
ダイナミック瞑想はもはや名物、というのもおかしいか、とにかく代表的なプログラムのようだ。
インドツアー出立前にOSHOのことを知っている人からも、アシュラムに来て声をかけてくれた日本人の方々からも、絶対に受けたほうが良い!とお勧めされた。
瞑想の手引きで手順を確認しただけで、かなりハードなことは予測がつく。
まず第一ステージは10分間、フンフンと、とにかく激しく鼻から息を吐いて呼吸する。リズムはつけず、とにかくすべてを燃やし尽くすように、激しく深く速く呼吸する。
身体が動くようなら動くに任せる。
第二ステージは、内側にあるものを爆発させる。大声で叫び、泣き、笑い、飛び跳ね、蹴り、意識的に第一級の狂人となる。
これも10分間。狂い続け叫び続ける。
第三ステージは、両手をまっすぐ高く上げて、フー!フー!フー!というマントラを唱えながら、その場でジャンプし続ける。
これも10分間。ひたすらジャンプし続ける。
第四ステージは、15分。
ストップ!という声がかかったら、ジャンプを止め、その時どんな姿勢をとっていようとも、凍ったようにそのまま、静止しなければならない。
姿勢を直したり、動いたり、咳をしたり、少しでも微動だにすれば、これまでの努力が台無し!
絶対にそのまま、ストップ!
ただ沈黙のなか、観察をする。
第五ステージ。音楽が流れ始めたら、祝いのダンスだ!感じるまま、踊って良い。
これが15分。
という具合だ。
おわかりいただけるだろうか。
肉体的にキツイ。
普段から負荷のかかるトレーニングに慣れてる人には、もしかしたら大したことがないのかもしれないけど、わたしは途中、あれ?これはマラソンだっかな?と思った。
終わらない感覚が似ていた。
まず第一ステージでかなりクラクラしてくる。
手を抜きたくなってくるけど、すべてを燃やし尽くす気持ちで、身体も揺らして、フンフンし続けた。
狂人の第二ステージ。これがとても特徴的かもしれない。
前日のうちにツアー主催者の女性から、ダイナミック瞑想のこのパートについて注意事項があった。
周囲がネガティヴな感情エネルギーを含め盛大に放出するから、私たちも始めはワザとでも良いから、とにかく思い切り放出すること。そうでないと受け取ってしまうから。
いきなり叫んで泣いて、怒りや悲しみ、笑い、何でもいいから出るに任せてブチ撒けろ。
そう言われても、初めてだと困惑するかもしれない。
わたしはこういう叫んだりする感情解放ワークは何度か体験済みだったので、一発目に思い切り雄叫びをあげた。
ピラミッド型の空間が、四方八方、叫び声に満ちて震える。自分の声すらよく聞こえない。
ダイナミック瞑想はアイマスクをすると良いということだったが、この日は忘れてしまったので、目を閉じた暗闇のなかで暴れた。
全員が自分の爆発に狂っている。
人目などまったく気にならない。
どんなにグロテスクでもいい、湧いてくる怒り、名前のわからない感情、口汚ない言葉、言葉にならない音、舌を突き出し、身体を掻きむしり、力の限り暴れ、狂い倒す。
まだまだ足りない、もっと深く、もっともっと地の底から、封印された過去世から、ぜんぶぜんぶこじ開けてブチ撒けたい!
地獄の蓋をあけろ!取り返しがつかなくてもいい、信頼して、すべて出るものは出して浄化する!
そのためにわたしはここにいる。
そんな気持ちで全力を尽くした。
からの、第三ステージ。
両手をまっすぐ上にあげて、ひたすら、フー!フー!フー!にあわせて、こまかくジャンプ。
第二ステージで出し切っているから、思考働かず、ただひたすらジャンプして観察していたわけだが、途中である意味正気に戻ってくる。
まだ終わらないの?
10分、長い!
オーディトリアムの冷たく硬い大理石の上で、足の裏とふくらはぎが「つらいよ!」「休みたいんですけど」と訴えている。
でも止まるなんて有り得ない。わたしはそれを選ばない。
一瞬一瞬を積み重ねていくしかない。
先を考えることはやめて、今この瞬間、この肉体の感覚、疲労や痛みや苦しさすら、集中して感じていくだけだ。
手加減したくなる、続けられなくなるくらいなら、休みながらやったほうがいいんじゃない?
そんな囁き声も聞こえるけど、わたしはエネルギーを出し切って生きたいのだ、苦しみも味わい切るのだ。
そう思い、なんとか一瞬だけに集中してジャンプを続けた。
物事は永遠には続かない、ちゃんと終わりが来る。
ストップ!のかけ声。
ここからが本当の忍耐の試練だった。
ヘロヘロのジャンプで腕の高さは元から中途半端になってしまっていただろう。
とにかくそのままの状態で、絶対に、微動だにせず、静止しなければならない。
いや、このまま15分?
いやいやいや。と私の中の思考は序盤から恐れ慄いていた。
しかし、少しでも動けば台無し!というメッセージを胸に、とにかく呼吸と身体感覚に集中していた。
無音の中、強く深く繰り返される呼吸、心臓の鼓動、身体を流れる汗、脚の緊張、ビリビリ身体中に走る感覚。
そして腕が重い。重すぎる。
その重さすら、ただのソレとして観察して、一瞬を積み重ねるべく集中した。
ただひたすら。
自分では微動だにしていないつもりだ。
だけどふと気づく。目を閉じているから見えないけど、感覚的に、少し腕の位置が下がってきている?
そうかもしれない、仕方ない。
だけど少しも楽にならない、むしろどんどん重くなる。
さすがに重すぎる。
つらい、苦しい。
それもただ感じる、呼吸しながら観察する。
一瞬に集中する以外、乗り切りようがない。
本当に長い15分だった。
やがて、救いのようにしずかに音楽が流れ始めた。
セレブレーション・ダンスだ!
心から、本当に心から、歓迎した。
手を下ろす前に、目を開けて、腕がどこまで下がっていたか、確認した。
ほとんど真横にまで腕は下がっていた。
むしろ真横より下だ。
自分では微動だに動かさないよう努力していたのに、ここまで位置が下がっていたことに、驚いたし少しがっかりした。
しかし、わたしは出来る限りやった。
身体を自由に動かせるとは、なんて素晴らしいんだろう。
なんて歓びだろう。
最後のダンスのステージは、素直に歓びのまま踊った。