インド旅行にまつわるエトセトラ

2024年1月はじめてのインド旅行前後のおはなし。

お金 1

“このインド瞑想ツアーで受け取ったこと”で引いたカード。

「けち」と「Thunderbolt<稲妻>」

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二度目の「サンダーボルト」を引いてしまった。
前回はOSHO禅タロットで、今回は氣・龍神タロットのサンダーボルト。
しかし意味は同じ。
古いパターンの崩壊、破壊、大浄化。

安全へのしがみつき、執着、よほどそれを手放して変わりたいらしい。
否応なく、変わらざるを得ないらしい。

そして「けち」。
これはわたしたちの界隈では「ケチババア」として有名なカードだ。
お宝を仕舞い込んで溜め込み、要塞で守り、自分の持ち物に執着して手放さない老婆。
それは、生命の基本的な性質、広がること、分かち合うことを止めてしまう。
仕舞い込まれた宝は使われることも分かち合われることもなく、色褪せて価値を失っていく。
使われないなら、無いのと同じでしょ?
それどころか、きっと腐臭までし出す。

このケチババアに関しては、思い当たりがありすぎるほどある。

実はこのインド瞑想ツアーに申し込む前後、やたらお金に関する気づきが多かった。

そもそもこのインドツアーだって、何十万とまとまった金額はかかる。
そこはブレイクスルーの衝動で参加すると決意した時点で、勢いで乗り越えていた。

インドツアー参加を決めた数日後、とある商品を買うか買わまいか、迷う出来事があった。
それはそれなりに高くはあるけど、欲しければ買える金額だ。
そして尊敬する人のお勧めで、普段自分では選ばないものだけど、だからこそ自分のために買ってみたい、と理屈では考えていた。

だけど、気持ちがためらう。
なんでこんなに抵抗が出るんだろう?チグハグだ。

頭の思考がダミーで、気持ちと身体に従うべき、というのがセオリーだけど、そのとき考えていた理屈は、感覚が世界をつくるメカニズムの理屈だ。

自分の狭い選択を超えて、感覚を広げるために買ってみたい。
新しい体験のため、それに、見るたびにきっと特別なストーリーを思い出す。
ただの物質じゃない、わたしは感覚を広げ、感覚を思い出す体験のために、自分にプレゼントしたい。

と、メカニズムを踏まえて考えているのに、それに反して何かが強く抵抗している。

結局、この時は自分が信じるメカニズムを信じて、買うことを選択した。

その場に一緒にいた友だちによると、悩むと言いながら、わたしは自分からわざわざ売り込まれに行ったり、買わざるを得なくなるよう積極的な行動を取っていたらしい。
身体は正直だ。

その時、友だちと話し合って、わかったことが二つある。

一つ、私は人から勧められたことに従うということに、強い警戒と反発があるということ。

勧められるがままに従っていたら、どんどん消耗する。
特にそれがお金を使うことであればどんどん減ってしまう、奪われてしまう、という感覚。

つまり私は、好意を持っている人、悪く思われたく無い人、そういう人のお勧めに太刀打ち出来ない弱い人間だと、自分で自分を捉えている。
実際に痛い経験がある。

だからこそ、頭に侵入される不快さがあって、逆に警戒を強め、反発する。

これはこの一年半、内観をしてきたので、少なくとも理屈ではすぐに自分の嫌らしさがわかった。

頭の中に侵入して来ないで!侵略される!
そんな危機感は、自分が侵入を許しているのだし、むしろ、嫌われないように、オコボレのメリットを相手から得ようとしているだけのこと。
いつだってすべての人が加害者であり、被害者なんていない。
私は奪う側なのだ。下手に出て、うまみをもらおうとジットリ狙っている。
それを隠すために、やめて!入って来ないで!とわざとらしく騒いでるだけだ。

お金が絡むと、お金を理由にしやすいから、こういった本当の抵抗を見ないで終わりやすい。
お金以外にも、ピンと来てない、自分の趣味じゃない、などの目眩しも言いがち。

もし百万円あったら、それを買う?(対象によっては一千万や一億などの充分な金額)
この質問は、お金の抵抗なのか、それ以外の抵抗なのかを見分けるのに役立つ。
充分なお金があっても、買う!と即答出来ないなら、何か別の抵抗がある。

この時わかったことの二つ目は、とても重要なことだ。

お金の価値は、体験、つまり、感覚にあるということ。
お金はエネルギーだ、という言い方をされるのもそういうことだ。

お金はそのまま眠っていても意味ない。お金は交換券なんだから。
そして交換されるのは、物質か?現象か?

それはもちろん。
お金と引き換えに、服、靴、アクセサリー、食べ物、旅客機での移動、住む場所、アート作品、情報、などなど。
あらゆる物質や現象のサービスも、ちゃんと得られる。

だけど、本質的には、それにくっついてくる体験、感覚がすべてだ!
それと交換している、それを得ている、それが欲しい。それだけ。
物質や現実のサービスが本体じゃない、本体は体験だ、感覚だ!
物質はおまけにすぎない。
考えてみれば当然すぎる当然の事実。

そのワンピース、そのコーヒー、その映画。
物質も現象サービスを受け取ったうえで、それにプラスして、どれだけ体験してると思う?
どんな感覚を得ている?

いつもとはちょっと違うワンピースを購入するドキドキ。
新しい装いの自分に出会った歓び。
自分にプレゼント出来た誇らしさ。
いつもと違う気分でお出かけする楽しみ。
ブランドに込められたストーリーを纏うこと。
そこから生まれる、ありとあらゆる体験。

友だちとの会話、スタイリングの試行錯誤。服につられていつもと違う行動、感情、体験が生まれる。

どう考えても、物質そのものより、体験と感覚のほうが、何倍も何十倍も何万倍も、でっかい。
いつだって、あらゆるものがお値段以上!間違いない、断言する。

実際わたしは、悩みながらも買った商品で、こんな重要なことを深く理解する体験まで得ている。
どれだけ価値ある体験なのか!

インド瞑想ツアーだって何十万もかかっているわけだけど、実際に飛行機に乗せてもらって、ホテルに泊まって、食事をして、世界的瞑想センターでプログラムを受けて……
その物質と現象サービスにプラスして、どれだけ受け取ってると思う?

五連休を自分のために取得するというチャレンジの興奮、自分への尊厳の高まり、そしてずっとやりたくてやれなかった文章表現を表立ってやるという決意と実行。
自分の人生と命を使ってやってみたい、やらずに死にたく無いとすら思っているのに、怖くて出来ないとほざいていたことを、実行すると決意したのだ。

旅行に行く前で、既にこれ。これだけでも何十万じゃ到底足りない。

しかも、お金は交換券だ。それは双方向ってことだ。

わたしに体験と感覚が生まれているように、わたしに服や靴や食事や旅行を提供してくれる側にも、体験と感覚が生まれている。
つまり二倍!

それに影響の波紋は双方向どころじゃない。
例えば、このインド旅行記を読んでくれた誰かに多少なりとも影響がつながっていく。
それだって体験と感覚を生み出している。影響の連鎖はキリがない。

そして、お金という交換券自体は交換されても消えない。
わたしに服や靴や食事や旅行を提供してくれた人の手もとに移動しただけ。
感謝すべきその人が、また何らかの体験と感覚を生み出すために交換を発動する。

そうやって循環していくだけ。
移動すればするほど、全体の富と豊かさは際限なく増えていく。